アポロ

私は水が怖かった。
小さいころから水遊びが嫌いで、お風呂は平気なのにプールは怖かった。 幼稚園でのプールの時間は大嫌いだったし、小学校に入学した後も、プールなんかに入るくらいなら成績が悪くなるほうがましだと思っていた。 それでいつも夏になると、主に仮病だったが、何かしら理由をつけては水泳の授業をさぼっていた。
時々はどうしてもごまかしきれずに、というか、先生は私の嘘をもちろん見抜いていたのだが、 あまりに私の嘘に無理があるときは、私は授業を見学で済ませることができなかった。 それで毎年何度かは必ずプールに入らされる羽目になるのだが、その度に私は自分がこのまま水に沈んで死ぬのではないかという気持ちになった。
なにしろ水に入るまではいいのだが、水の中にいること自体に恐怖感を覚える私は、わずか五メートルの距離を泳ぐのがやっとなのだ。 水に浮かんでいる自分が怖くて、ひたすら先生が、バタ足をしなさい、とか、何秒水にもぐっていなさい、とかいう指示に従うだけで精いっぱいだった。

私が授業をさぼることについて、親は私の激しい水嫌いを知っていて何も言わなかったし、 私も授業をさぼるためなら何でもしたので、水泳の時期の体育の成績は、本当にひどいものだった。
だが、普段の体育の成績が良かったかといえば、全くそんなことはない。 私は完璧な文化系で、スポーツと名のつくものは大体が苦手だった。 嫌いだったわけではないし、それなりに楽しいとは思っていたのだが、運動神経が良いとは言いがたい。
だから、ただでさえあまり見栄えの良くない成績表が、水泳をさぼっているせいでますます目も当てられない状態になっていたけれど、 私はほとんど気にしていなかった。 体育以外は普通の成績だったし、国語だけはいつも良い評価をもらっていた。

私は友達からも本の虫といわれるぐらいの文学少女で、暇さえあれば本を読んでいた。 家にある本だけでは飽き足りず、学校の図書室や図書館にも足しげく通った。 本に囲まれているとき私は心の底から幸せだった。 そんな風に、趣味を聞かれたら迷わず読書で、苦手なものは水泳、という状況のまま、私は中学も卒業した。
内申で足を引っ張られることは分かっていたのに、私は中学でも水泳の授業をさぼり続けたのだ。 高校受験のことも考えていないわけではなかったから、体育以外はそれなりに頑張ったつもりだ。 私は、体育で手を抜くために、他の科目を必死で頑張ったのだとも言える。 本当は、嘘をついていつも授業を見学していることで、良心がいたんでいたのかもしれない。 その、先生に対する申し訳なさが、私に他の科目を頑張らせたのかもしれない。
努力した甲斐あって、体育の成績が惨憺たる状況だったにもかかわらず、私の内申はそこまでひどいものにはならなかった。 今思えば、私はたかが水泳をさぼるためだけに、本当にすごい努力をしたものだ。 その情熱をもっと他のところにそそぎこめばよかったとも思う。

私にはうれしいことに、どうにか私が入学した高校では、一年次での水泳の授業が希望者のみだった。 もちろん私が水泳など選ぶはずはない。 私は初めて、夏の間、仮病も使わず、大嫌いなプールに近づくこともなく、平和に過ごすことができた。
私の体育の授業は隣のクラスと二クラス合同で行うのだが、水泳選択者がなんとクラスの八割を超えていた。 器械運動をしているのは私のように泳げない人が多く、体育館にいる私たちは完全にマイノリティという感じだった。 友人たちには水泳が大好きという人も何人かいたが、どうしてみんながあんなにうれしそうに水に飛び込めるのかが、私には全くの謎だった。

そのまま私の高校での三年間は、水泳抜きで平和に過ぎていくように思われた。
が、私は甘かった。
体育の最初の授業をまじめに聞かなかった罰が当たったのだ。 一年生で水泳を選択しなかった者は、二年生では必ず選択しなければならないという規則になっていた。 それを知ったときの私が受けた衝撃といったら、言葉にして表せるようなものではなかった。 もうプールをさぼるために仮病を使わなくてもいいのだと安心し油断しきっていた私に、突然の不意打ちが飛んできたのである。 二年に進級した最初の授業でそれを知った私は、最初の水泳の日まで、気が重いまま過ごすことになった。

嫌なものを待つ時間は長いものだが、過ぎた時間はあっという間に感じられる。 その年最初の水泳の授業は私のクラスだった。 担当の先生は三人くらいいたが、中心になって授業を進める先生は、この春大学を出たばかりの、若いかわいい女の先生だった。 プールサイドに水着で現れ、仮病を使って授業をさぼったりしたら、その生徒には単位を出さない、と宣言した彼女の瞳は、やる気に満ち溢れていた。 反対に、それを聞いた時の私の目からは生気が抜けていくようだったと、のちに私の友人は語ったが。

準備運動を始めてから水に入るまでの間、私はほとんど真っ青で、本当に授業を見学したほうが良いのではないかというぐらいだった。 友人は私の顔色を見て心配していたが、私は半ばやけくそになって、プールに入る覚悟を決めていた。 今まで逃げ続けてきたツケがまわってきたと、腹をくくったのかもしれない。

そのとき何が私にそうさせたのかは分からない。しかし、そのときの覚悟がそれ以後の私を全く変えたのだ。

準備運動も終わり、先に水に入った友人が、恐る恐るプールに入る私の手を握ってくれた。 手を握ってもらわなくては怖いなんて、一体どこの小学生だと、情けない気持ちでいっぱいだった。なんだかめまいがするような気もした。

全員が水に入ってから、去年も水泳を選択したグループと、今年初めてのグループに分けられた。 去年も水泳を選択した生徒たちは二十五メートルのタイムを計ることになった。

私の友人は去年も水泳を選択していたので、私の手を放してタイムを計りに行ってしまった。 私は他の泳げないクラスメート数人と共に、例の若い女の先生のところへ水の中を歩いていった。

向こうのほうでタイムを計っている人たちは、ほぼ全員が本当に泳ぐのがうまかった。 あんなにたくさん泳ぐのが上手な人たちを見ていると、なんだかめまいがどこかに飛んでいって、トビウオの群れでも見ているような気分になった。

一方、私と共に先生のところに集まったのは私を含めた十人。 むこうでタイムを計っている彼らをトビウオ組とするなら、私たちはカナヅチ組だった。
まさか全員が泳げないと思っていなかった先生は、はじめ少し驚いたようだったが、というか呆れていたのかもしれないが、 私たちをそれぞれ二人組にさせて、バタ足の練習から始めることにした。 私には忌まわしい思い出しかないバタ足である。なんだか小学校に戻ったような気分だった。

私の予想に反して、水泳の授業は楽しかった。 水は相変わらず少し怖いのだが、先生の教え方はとても上手で、怒られないし、無理強いもしない。加えて周りも全員泳げない人たちである。 一人だけ劣等感を感じることもなかった。 人数が少ないのが幸いして、先生は私たち一人一人に丁寧な指導をしてくれた。 はじめは私たちの十人の誰も、十メートルだって泳げなかったのに、少しずつではあるがみんながだんだん泳げるようになり始めた。

何度か授業を受けるうちに、先生の丁寧な指導と、みんなの頑張りの甲斐あって、私たちの水泳の技能はすばらしく上達していた。 トビウオ組の彼らも目を見張るほどだった。
私たちカナヅチ組にとっては、二十五メートル一度も足をつかずに泳げること自体がすごいことなのだ。 一度泳げるようになってしまうと、どうして今まであんなに水を怖がって、成績表に汚点を残してきたのかが、まったくの謎だった。 泳ぐ楽しさを知らなかったこの十七年間は一体何だったのだろうとさえ思えてくる。
きっと先生がいなければ、私も他の九人の彼らも、こんな楽しさは知らないまま人生を送っていたに違いない。 こんな達成感を味わうことも、こんな喜びを知ることも。

私たち元カナヅチ組はすっかり水泳が好きになっていた。 私たちは泳ぐことに夢中になって夏を過ごした。 私たちには連帯感のようなものができていて、夏休みまでわざわざ学校に来て、みんなでプールで泳いだ。
私は十人の中でも特に速く泳げるようになっていた。 水の中を、速く進めるのがうれしくて、私は何度も何度も二十五メートルのプールを往復した。

楽しい時間はあっという間だ。無我夢中で泳いでいるうちに夏休みは終わり、九月の半ばになり、プールの授業が終わった。 九月の末までは学校行事などがあって忙しかったが、十月に入るとまた私は泳ぎたくなった。 しかし水泳の授業はもうないし、この学校には水泳部がない。 元カナヅチの面々は、それぞれ近所のプールに通ったりしているらしかった。 そこで私も、駅の近くにある、市民体育館の市民プールに通うことにした。

初めて市民プールを訪れたその日は十月四日、土曜日だった。

朝九時過ぎ、受付を済ませた私が着替えてプールへ向かうと、まだプールが開いたばかりなのに、もう泳いでいる先客がいた。
その人は女性で、五十メートルのプールをクロールでゆっくり泳いでいた。 私はその人がきれいなフォームで泳ぐのを見ながら、プールサイドでゆっくり準備運動をした。

私が水に入ったとき、彼女もちょうど五十メートル泳ぎきり、私から少し離れたところでまた五十メートル泳ごうと水中でターンしたところだった。 私も彼女を追うようにゆっくり泳ぎ始めた。
はじめはゆっくりと泳いでいたのに、遠くも近くもない微妙なところに誰かが泳いでいると、なんだか追いつきたくなってくる。 いつの間にか私は少しずつスピードを上げていた。

とうとう私が彼女と並んで追い越しそうになったころ、彼女も少しずつスピードを上げ始めた。 はじめはゆったりした気分で泳ぎ始めたのに、いつの間にか競争になっていた。 私はどうしてかわからないが、彼女に負けまいと必死で泳いだ。 彼女がどんな気持ちでスピードを上げたかわからなかったが、彼女はすごい速さで最後まで泳ぎきり、私より少し早くにプールサイドにタッチした。
私は少し遅れてゴールすると、そういえばまっすぐ五十メートルも泳ぎきったのは初めてだったことに気がついた。 ものすごく息が上がっていて、私の肩は激しく上下していた。 横を見ると、彼女が私のほうを見て、息を上げて、笑っていた。

目があって、私は彼女に言った。息が上がっているせいで声が出しにくかった。
「速い。すっごい速い。ロケットみたいだった」
「あなたの方が速かった!ロケットみたいに。ねえ知ってる、今日はソ連が初めてスプートニクを飛ばした日なんだよ」
私たちは水からあがり、タオルを置いてある方に歩きながら話した。
「そうなの?全然知らない。見たことないけど、スプートニクみたいに速かったよ」
「じゃああなたはアポロだね。私に負けた」
彼女は私が手に持った星条旗の柄のタオルを指して言った。
「じゃあなたはスプートニクなんだ。泳ぐのすごく速いんだね」
「そうかな。あなたの方が速かったよ。スイミングスクールとか通ってた?」
「ううん、私、この夏泳げるようになるまで、カナヅチだった」
「うそだ!私、けっこう泳ぎ自信あったのに、そんな初心者にあんな僅差つけられたの?ガーン」
「ええ?そんな僅差だったかなあ。ついて行くので精一杯だったよ。あなたが速かったから、つられたのかな」
「そうかも。目の前を速く行かれると、ついむきになって追いかけるよね」
「そっか、スプートニクにつられて、アポロは宇宙に行ったのか」
「月に行くまでは何年もかかったけどね」
「でも、その後の宇宙開発はアメリカがリードしてたんだよ。最後は追い越された」
「そうか。じゃあいつか私を抜かすつもりなんだ」
「そうか。私がアポロだったらいつかスプートニクを抜かすのか」
そこで私たちは顔を見合わせて笑った。また水に入ろうとすると、2、3人連れの男の子たちがプールに入ってきた。
私と彼女は泳ぎ始めた。始めはゆっくり。段々とスピードが上がる。少し先を進む彼女に、必死で私はついて行こうとしていた。

それからは、毎週土曜日市民プールに通うのが私の習慣になった。
プール通いを次の年の三月いっぱいでやめるまで、私は一度もその習慣を変えたことはなかった。 そして、必ず彼女は私より先に来て泳いでいた。

私は彼女と一緒に泳いだ。段々自分の水泳の技能が上がっているように感じた。 きっとそれは気のせいではなかったと思う。いつでも私の少し前を泳ぐ彼女に遅れるまいと泳いでいた。 それは不思議な気分だった。 泳いでいるうちに体が疲れてきても、彼女についていこうとするとまるで体が引っ張られるように前に進むのだ。

水の外では私たちはいろいろな話をした。 水泳のことに始まって、私が授業をさぼり続けていたこととか、彼女の趣味の話とか、学校のことや、ロケットの話までした。
私は彼女の名前を知らなかった。
彼女も私の名前を聞かなかった。
あんなにたくさんの話をしたのに、「わたし」と「あなた」だけで会話には困らなくて、二人とも結局名乗らないままだった。 だから今、私が彼女を思い出すとき、心の中で彼女に呼びかける名前は「スプートニク」。 時々彼女はふざけて私をアポロと言ったから、私も時々彼女をスプートニクと呼んだ。

本物のアポロはスプートニクよりあとに宇宙に行くことができるようになった。 私より速く泳ぐ彼女がスプートニクで、彼女より遅い私がアポロというのは、なんだか意味が違うような気がする。 でも、いつかアポロの性能がスプートニクを上回る、といった意味で、彼女は私をアポロと言ったのだろうか。

彼女の現れなくなるときまで私は彼女を抜かすことができなかった。 本気で彼女と勝負しても、どうしても彼女を追い越すことができないのだ。 私がアポロなら、スプートニクをいつか追い越せるのだろうか。 だが彼女はもういないから、今ではもうそれを確かめることはできない。

ところで、私は三年生に進級したら、大学受験のために予備校に通うつもりだった。 予備校に通い、勉強をまじめにするようになったら、私はプールに通う時間が取れなくなる。 それで、二年生の三月いっぱいで、私はプールに行くのをやめるつもりだった。

三月の第三週の土曜日、私はいつものように彼女と二人でクロールの勝負をした。 中学生の男の子たちが二、三人、「はえー!」とか言いながら見物していた。

いつも出だしは快調なのだ。 だが、段々彼女が私をリードし始めて、私は絶対に彼女を追い越せなくなる。 その日も、彼女が勝って私が負けた。

しかし、いつもは私が来るとすぐに五十メートルで勝負をして、二人でのんびり泳いだり話をしたりしてお昼ごろ別れるのだが、その日は違った。 その日は彼女は私が彼女に遅れてゴールすると、にこっと笑って
_ 「また私が勝った」と言った。
「いつか追い越すよ」と私が答える。
すると彼女は水から上がって、もう帰るね、と言った。
彼女がプールから出て行ってしまったあと、私は来月から自分が泳ぎに来れなくなると言い忘れたのに気がついた。 でも、来週言えばいいや、そう思って私はその後もお昼ごろまで一人で泳いだ。

しかし、次の週、彼女はプールに来なかった。私はまた一人で泳いだ。
たまたま今日来ないだけなのかどうかわからなかったが、彼女とはそれきりになった。
それから四月になって私はとてもまじめに勉強するようになった。 親の経済状況のために、浪人することは許されなかったから、私はけっこう頑張っていた。 頑張っているうちに、あんなに夢中になっていた水泳のことを、あまり考えないようになった。

夏になったが、その年高校のプールはあまりに古いから新しくするとかで、どの学年も水泳の授業がなかった。 なければないで水泳ができないことをあまりつらいとも思わずに私は机に向かった。 それに、去年あんなに熱心に私たちを指導してくれたあの若い女の先生は、今年はもう違う学校に行ってしまっていた。

私の夏休みは、去年とはまったく違って、冷房の効いた予備校と、暑い自宅との往復だった。 予備校はすごく涼しくてやる気が出たが、家を出るのが億劫で、家で勉強する日もあった。 ある日私が自室で問題集をやっていると、居間の母から声がかかった。 スイカを切ったから食べないかと言っている。 居間に行くと、テレビがついていて、中学生の弟が某水泳映画を見ていた。 男子高校生たちが高三の夏をシンクロに捧げるという青春ドラマである。 私もスイカに手を出してテレビの画面をながめた。

ながめていると、プールに入りたくなってきた。
四月からの四ヶ月間、どうして一度も入りたくならなかったのか、とても不思議に思えた。
それから、彼女の顔が浮かんだ。
彼女のことを思い出すのもとても久しぶりだった。
市民プールで泳いだ最後の土曜日からずっと、私の頭の中から泳ぐことも彼女のことも抜け落ちてなくなってしまっていたかのようだった。

ずっと泳いでいないと思うとどんどんプールが恋しくなってくる。
私はテレビの画面を見つめながら、また一口スイカをほおばった。

私はきっと泳ぐことをずっとやめないだろう。 ずっと水泳が好きだろう。
そしてきっと、先生と彼女、スプートニクがいなかったら、今こう思う、そしてそうありたいと熱望する私はいなかったろう。 泳げるようになるまで、いままで私がこんなに熱い思いを抱いたことがあったろうか。 いや、きっとない。

先生とは連絡を取ってまた会うことができるかもしれない。
名前も知らない彼女とはもう会う機会はないだろう。
だが私は、どちらとももう会わないだろうと思った。
それから、いまなら彼女を追い越せるような気がした。

テレビに流れるエンディングロールを見ながら、私は彼女が最後に私に言ったことを思い出した。
_ 「さよなら、アポロ!」
私たちは本当にいろいろなことを話したのに、はっきり思い出せるのは初めて会った時の会話とこの台詞だけだった。
もっといろんなことを覚えておけばよかったなぁと思いながら、私はスイカを種ごと飲み込んだ。

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